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「秋桜」(コスモス)は、1977年10月1日にリリースされた山口百恵の楽曲で、19枚目のシングルである。「日本の歌百選」に選ばれている。 == 解説 == *リリースの約半年後、作者であるさだまさし自身がアルバム『私花集』(1978年3月25日リリース)でセルフカバーした。オリジナルは山口盤ではあるが、山口は1980年に引退したため、以降本作はもっぱらさだによって歌われている。また中森明菜や福山雅治、平原綾香などポップス・演歌・クラシック等のジャンルを問わず数多くの歌手によりカバーされている。 * 1977年当時、山口百恵は阿木燿子・宇崎竜童によるいわゆるツッパリ路線の楽曲で売り出していたため、本作をリリースした際には山口に対し「なぜさだの曲を歌うのか」という疑問の声が多かった。また、さだファンからも「なぜ山口の歌を作るのか」という反響もあったという。さだは、山口には日本的な女性らしい面があるのではないかと考え、あえてそれまでのイメージを一変させるような曲作りを行ったという。 * 提供曲のレコーディングには立ち会うことを常としているが、本作のレコーディングの際にはさだはスタジオに立ち会わなかった。さだが電話で「(結婚をテーマにした作品であるため)まだピンと来ないでしょう?」と尋ねたが、そのとき当時18歳だった山口は「はい」と正直に答えている。しかしその後、結婚を期に引退するラスト・コンサートの日(1980年10月5日)に「この歌の意味がようやく分かりました」というメッセージをさだに送っている〔さだのデビュー20周年ライヴ・アルバム『のちのおもひに』第4夜収録の「トーク2」〕。 * さだは、山口百恵側からの制作依頼を受けてから督促が来るまで2年間、依頼の事実を忘れていたと言い、その後半年かけて完成したと語っている。 * 作品は山口のファルセットを発揮するために高音域を選んだ曲作りがなされている〔山口盤はヘ短調で歌われているが、さだのセルフカバーでは完全四度下のハ短調で歌われている。〕。ただし、歌番組での山口はオリジナル・キーのヘ短調よりも短三度落とし、変ホ短調で歌唱することが多かった。 * 本作は元は「小春日和」というタイトルだったが、曲を聴いたプロデューサー(CBSソニーの酒井政利)の提案で「秋桜」に変更となった。当初、さだはタイトルの「秋桜」を、「コスモス」と読ませるつもりはなく、本来の和名である「あきざくら」とするつもりであった(さだは後に短編小説集『解夏』中に「秋桜(あきざくら)」という作品を出す)。本作のヒットにより「コスモス」というそれまでになかった読み方が広まるようになった〔笹原宏之編『当て字・当て読み漢字表現辞典』2010年、三省堂、274頁、ISBN 978-4-385-13720-9〕。 * 嫁ぐ娘が母を想う楽曲であり、後に同じシチュエーションを母親の視点から歌った作品「秋の虹」(『家族の肖像』に収録)が制作されている。 * さだは自身の他の曲で「雨やどり」や「親父の一番長い日」などと同様、妹の佐田玲子をイメージして詩を書いたが、玲子は2013年11月現在未だに独身である。 * 1982年には、日立マクセル「maxell・エピタキシャルビデオカセット」のCMソングに使用された。また1995年には、東映映画『日本一短い「母」への手紙』の主題歌となった。 * 2008年12月10日より京浜急行電鉄・京急久里浜駅の接近メロディとしてこの曲が使用されている。 * リリースされて3週間余りでオリコンの3位にランクされた。ピンク・レディー「ウォンテッド (指名手配)」とジョー山中「人間の証明」に次ぐ5週間3位、50万枚近いセールスを記録〔なお、「人間の証明」は6週連続2位だった。〕した。 * 第19回日本レコード大賞で、山口百恵は歌唱賞を、作詞者のさだまさしは西条八十賞を受賞した。 * 翌1978年1月19日に第1回目が放送された『ザ・ベストテン』では、同回の12位が最高で、10位以内のランクインはならなかった(同じく第1回放送時は、次のシングル曲である「赤い絆 (レッド・センセーション)」が11位だった)。 * シングルレコード盤ジャケットに掲載の歌詞は、さだの自筆である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋桜 (山口百恵の曲)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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